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ロータリークラブとは
創始者はポール・P・ハリス
ロータリーは、一人のアメリカ人のビジョンによって始まりました。その人の名は、ポール・P・ハリス。シカゴで青年弁護士として働いていたハリスが、3人の友人(ハライム・ショーレー、シルベスター・シール、ガスターバス・ローア)と語らって、第1回の会合を開いたのが、1905年2月23日でした。
さまざまな分野の職業人が集まって知恵を寄せ合い、生涯にわたる友情を培うことのできる場をつくることが、ハリスの夢でした。
ロータリーとは、会員が持ち回りで順番に、集会を各自の事務所で開いたことから名付けられました。「国際ロータリー」は世界初の奉仕クラブ団体であり、200以上の国と地域に37,000以上のクラブを擁し、会員数は118万人が属しています。
日本最初のクラブは東京RC
1918年1月、米山梅吉は、目賀田種太郎男爵を団長とする、財政調査団に加わって渡米。テキサス州ダラスでダラスロータリークラブ会員の福島喜三次に会い、初めてロータリー運動に接し、大いに心を動かされる。帰国後、米山梅吉は2年余り、ロータリー精神と組織の研究に努め、日本でのロータリー創立へ準備を進めた。
当時の日本は、第一次大戦に連合国側として参戦。戦後は恐慌に襲われ、ロータリー精神が受け入れられる状況ではなかったが、米山梅吉の熱意は少しも衰えなかった。1920年1月には福島喜三次も帰国。在日米国人実業家ウオルター・ジョンストン(W.L.Johnstone)の応援を得て、その年の9月1日は設立準備会を開いた。
設立総会は1920年10月20日、銀行クラブにジョンストンと賛同した有志14名(チャーターメンバーは24名)を集めて開かれた。総会では初代会長を米山梅吉、幹事に福島喜三次、理事に伊藤米次郎、樺山愛輔、小野英次郎を選出。国際ロータリーのシカゴ本部へ加盟申込書を送り、1921年4月1日に承認された。国際ロータリーからの認証は855番目だった。
その後、全国へ拡がったロータリーの精神
日本で2番目に認証を受けた大阪RCも国際ロータリー直轄のクラブで、福島喜三次が帰国後大阪に赴任し、星野行則とともに、1922年11月1日第1回創立準備会を中之島大阪ホテルで開催し、1922年11月17日に大阪RC創立総会を開いた。
関東大震災を契機として、日本のロータリー運動は本格的になっていくが、1924年(大正13年)7月に東京RCを立ち上げた米山梅吉が初代のスペシャル・コミッショナーに任命される。第2代が井坂孝、第3代が平生釟三郎である。この3名の指導のもとに、次々とRCが日本の大都市に設立されていった。
東京・大阪に続いて、1924年(大正13年)8月に3番目の神戸RCが8月に設立される。スポンサークラブは大阪RCであった。続いて東京RCがスポンサーで、1924年12月に4番目の名古屋RCが設立される。さらに東京・大阪両クラブの共同スポンサーによって5番目の京都RCが設立され、6番目に横浜RCが設立される。六大都市にロータリーが設立され、その後日本全国にRCが次々に拡大していった。第二次世界大戦による中断があったものの、戦後会員を拡大し世界第2のロータリー国となるが、近年に至り、経済情勢の変化さらに震災等の影響からか、会員数は減少傾向にある。
クラブ数2,223、会員数84,310人(2022年3月末)。日本は3ゾーン編成で、34の地区に分かれている。そのうちの1地区にはミクロネシア、グアム、北マリアナ諸島、パラオという海外の地域も含む。
行動基準
会員の行動基準として「四つのテスト」がある。
四つのテスト “The Four-Way Test”
言行はこれに照らしてから “Of the things we think, say or do”
- 真実かどうか “Is it the TRUTH?”
- みんなに公平か “Is it FAIR to all concerned?”
- 好意と友情を深めるか “Will it build GOODWILL and BETTER FRIENDSHIPS?”
- みんなのためになるかどうか “Will it be BENEFICIAL to all concerned?”
標語
- 「超我の奉仕」”Service Above Self”
- 「最も良く奉仕する者、最も多く報いられる。」”One profits most who serves best”
ロータリーの理念
ロータリーは人道的な奉仕を行い、すべての職業において高度の道徳的水準を守ることを奨励し、世界においては、親善と平和の確立に寄与することを指向した、事業及び専門職務に携わる指導者が世界的に連携した団体である。